第1回となるインタビューでは、なぜ今の会社に就職したのかを高専OB,OGの皆さんに聞いてみます。
愛媛県新居浜市にある株式会社三好鉄工所 松島悠大さんにお話しを伺いました。
まずは、小学生のころのお話を伺います。
Q:どんなことが好きでしたか?また普段、どんなことをしていましたか?
小学生の頃は、いわゆる“万能タイプ”でしたね。
陸上部では100m走やリレー、ハードルと、どの種目でも全力を尽くしていて、
5年生の時には県でベスト8に食い込む活躍を見せました。
でも、6年生になると、急に背が伸びなくなり、記録も止まってしまったんです。
まさか自分が“成長期に見放される”とは思わず、その時は本気で努力の限界を感じました。
それでも、その悔しさが自分の成長の一部だったと、今では思います。
一方で、本の虫でもありました。
特にファンタジー小説が好きで、「ゲド戦記」や「果てしない物語」、「ナルニア国物語」など、
いつも想像の翼を広げては、まだ見ぬ世界への憧れを感じていました。
現実の自分は背が小さく、女子にからかわれることも多かったですが、
僕にとって空想の世界は、未来に対する希望であり、無限の可能性を信じる心の拠り所でした。
自分を縛り付ける様々な重力に対するどす黒い感情が、現実と想像の狭間で僕を奮い立たせていたんです。
今振り返ると、あの時の小さな悔しさや夢が、人生のエネルギーになっているのかもしれませんね。
Q:ものづくりは身近な存在でしたか?
ものづくりは、子どもの頃から身近な存在でしたね。
レゴで遊ぶのが大好きで、気がつけばあれこれと建物や乗り物を組み立てていました。
それが高学年になると、今度はプラモデルにどっぷりハマりました。
無心で目の前のことに没頭することに、純粋な喜びを感じていたんです。
父親は機械設計の仕事をしていて、趣味で日曜大工もしていました。
小学生の時に専用の工具箱をプレゼントしてもらったことがあって、
その時は自分も“職人”になったような気分でしたね。
また、祖父が大工で、自分の家のリフォームを黙々と進める姿を見て、
職人の世界に憧れた記憶があります。
そうした環境で育ったので、自然と“ものづくり”が当たり前のように身近な存在になっていったのだと思います。
ただ、今になって振り返ると、ものづくりが身近であったがゆえに、
ものづくり以外の仕事に対する解像度が低かったようにも感じます。
幼い頃の僕にとって、職人や技術者の姿があまりにも当たり前だったのかもしれません。
続いて、中学生のころのエピソードを伺ってみます。
Q:当時、なにが好きでしたか?どんなことをしてましたか?
中学生の頃は、いわゆる“優等生”を演じていましたね。
生徒会長を務めたり、合唱コンクールではピアノの伴奏を担当したりして、
周囲からは“ヒーロー”のように見られていたかもしれません。
部活でもそこそこ活躍して、表面上は順調に見えていたと思いますが、
実際にはアイデンティティの確立や他者との関わりにひどく悩んでいました。
鬱屈とした気持ちを抱え、外から見れば順風満帆に見える自分と、
孤独を感じる内面とのギャップに葛藤していた時期でした。
中学時代のことはなんだかおぼろ気で鮮明に覚えてません。
何が好きだったかもよく思い出せません。
Q:部活は入られてましたか?当時の趣味はなんでしたか?
部活はソフトテニス部に入っていました。
ただ、顧問の先生のやり方がどうにも気に食わなくて徒党を組んで陥れるようなことばかりしていましたね。
思い返せば、やり場のない感情のはけ口にしていたのかもしれません。
一時の感情に支配されることの愚かさ、ネガティブな言動はポジティブな循環を生まないこと、
人を思い通りにすることはできないことなど、いろいろと学んだ時期だったと後になって思います。
一方で、趣味としてアコースティックギターを始めました。
薄暗い部屋で一人、ギターを抱えていた記憶が今でも鮮明に残っています。
その時間が、自分と向き合う静かなひとときであり、
そうでもしないと自分を保つことができなかったのかもしれません。
ザ・思春期です。
Q:高専に進路を決めたポイント、悩んだポイントを教えて下さい
高専を選んだ理由は、環境を変えたかったからです。
寮に入って、新しい世界の扉を開けたら、何か違う明日が待っているんじゃないかと思ったんです。
思春期の鬱屈とした感情から抜け出して、新しい自分を見つけたかったのかもしれません。
幸い、家族も理系に理解があり、また高専が自立への最短ルートでもあると考えたので、
進路に迷いはありませんでした。
公立校や滑り止めも受けず、高専の推薦入試一本で受験に挑みました。
自分にとっては“これしかない”という確信があったんだと思います。
高専に入学した時について教えて下さい。
Q:どの学科に入りましたか?その学科を選んだ理由も教えて下さい
機械工学科
どんな工業製品にも機械工学の知識が不可欠だと思っていて、将来つぶしがきくと考えました。
実際、幅広い分野で機械工学の知識が活かせると感じていましたし、
自分にとっては堅実な選択だと思いました。
ただ、今の時代であれば、間違いなくIT系の学科を選んでいたと思います。
IT技術の進化は凄まじく、どの業界にも不可欠な存在になっています。
当時、その可能性に気づいていたら、
今頃フルリモート勤務でスマートな自宅のスマートな書斎から世界中と仕事をして、
子供との時間ももっととれていたのかな、と少し後悔しています。
ただ、機械油がこびりついた、刺激臭と粉塵立ち込めるファニーな現場もそう悪くありません。
Q:現在、どんなお仕事をされていますか?
現在は、プラントメンテナンスや機器製作の品質保証業務に従事しています。
具体的には、非破壊検査や検査業務の管理、検査成績書の作成などが主な業務内容です。
世の中は、学校という箱庭にいた頃の僕には想像がつかないほど曖昧で無秩序で、
社会は綺麗事や建前で取り繕われ、実際には誰かの都合や思惑で成り立っているように感じます。
御多分に漏れず、僕が携わる多くの仕事も暗黙知の集積で、
その業務内容やフローは煩雑で不明瞭な部分が多いです。
ただ、だからこそ自分がここで働く意味があるのだと思います。
今は、その煩雑で不明瞭な業務を自分なりに解釈し、
再構築して若い世代に分かりやすく伝えることにやりがいを感じています。
自分の技術力を上げるというよりも、同僚や後輩が気持ちよく仕事できる環境を整えるために、
自分ができることを増やしている感覚ですね。
清濁併せのみ、せめて「自分と自分の周りの人だけでも健やかに働けるように知恵を巡らせる」ことが、
僕が今している仕事だと思っています。
Q:今の会社に就職した決め手はなんですか?
きっかけはコロナ禍です。
それまでは大阪の産業ガスメーカーに勤めていて、約7年間水素の製造に携わっていました。
2020年、都心部でコロナウイルスが猛威を振るい始めた頃、ちょうど僕も都内に勤務していました。
その時、妻が2人目を妊娠中だったこともあり、家族のことを考えてUターン転職を決意しました。
三好鉄工所に興味を持ったのは、
自分がこれまで携わっていたプラント運転とは別の角度からプラントに関わる仕事だったからです。
前職でもプラントメンテナンス会社とは仕事上で常に関わっていたので、
その業務にはある程度理解がありましたし、分単位で追われる運転員の仕事とは異なり、
頭を使いながら働ける環境が魅力的に映りました。
また、交代勤務がない点も家族との生活を考えると大きな決め手でした。